エスキーテニスの歴史

ここではエスキーテニスの歴史を紹介しています


 

「エスキーテニス」の成立と普及

(広島大学大学院 崎田研究員による学術論文)

 

1 おいたちと発展・現況

 

  1945年(昭和20年),原爆が投下された廃墟の中で,広島の子供た

  ちが焼け残った板切れを持って,手作りのボールを打ち合って遊んだ

  のが始まりといわれている。

  考案したのは,広島の実業家・宇野本信氏(1959没)で,あまり場所

  をとらず簡単に作れる安価な道具で楽しめるスポーツを,子供たちに

  提供したいと考えた。それは学徒動員中に原爆によって女学生の愛娘

  を失った悲しみの中で「スポーツを通して平和を」という願いを込め,

  苦心の末に考案されたのが,この「エスキーテニス」である。

    エスキーテニスの名称は,当時,世界の平和を願って,広島に創設

  が提唱されていた「教育科学文化研究所」(Education Science and 

  Culture Institute)の頭文字(ESCI)をとって命名したものである。

    戦後,十分なスポーツ用具もなかった時代,わずかなスペースと

  わずかな費用で,手軽に楽しめるエスキーテニスは,職場や学校等で

  大変な人気となり,次第に普及していった。

   1948年(昭和23年)には,エスキーテニスの普及、我が国の体育・

  スポーツの振興と世界平和への貢献等を目的とした「日本エスキー

  テニス連盟」が結成された。

    また、広島でエスキーテニス誕生大会が開催された。

   1952年(昭和27年)には,広島平和大通りに10面のコートが設置

  (現在は,広島市東区牛田新町へ移設)され,平和を象徴するスポーツ

  として社会人,主婦,学生など,数多くの人びとに親しまれている。

    春と秋には,連盟主催の地区大会が盛大に開催され,また,1979

  年(昭和54年)からは毎年多くの参加者の下に全国大会も開催され,

  近年,大きな広がりをみせている。

    現在,広島県,山口県,福井県,愛知県,岐阜県,香川県にエスキ

  ーテニス連盟が設置されている。

 

2 競技の特性

 

  エスキーテニスは,羽根(2001年(平成13年)に鶏のものから人

  工のものに変更)のついたゴルフボール大のスポンジボールを木製

  ラケットでネット越しに打ち合うゲームで,テニス型のスポーツである。

  

  羽根がボールのスピードを抑えるため,小さなコートで手軽にプレイ

  することができる。と同時に,運動量も多く,また,技能が高まるに

 つれてさまざまなテクニックも必要で,初心者から経験者まで老若男女

  を問わず,幅広い年齢層で楽しむことができる。

  また,エスキーテニスは,アウトドア(屋外),インドア(屋内)どちらでも

  プレーが可能であるが,天候(雨,風等)の影響を受けず,四季を通じて

  できるインドアスポーツとして発展してきている。

  更に,球技では珍しい,ユニークな「段級位制度」を設けており,毎年

  100人程度がこの段級位に挑戦している。